本日はご来場いただきありがとうございます。私たち清瀬管弦楽団は今年で創立40周年を迎えることになりました。今回のこの定期演奏会は40周年にちなんでモーツアルトの名曲中の名曲”交響曲40番”を演奏することにしました。余暇の活動として音楽を楽しむ私たちの演奏技術は稚拙な点は否めませんが、”音楽が好き”という気持ちで精一杯演奏したいと思います。また名曲には演奏技術を越えて何か訴える力があるものだということを演奏する私たちと同様に感じていただければ幸いと存じます。
−野口剛夫−
1964年東京生まれ。中央大学大学院(哲学専攻)を経て、桐朋学園大学研究科を終了。作曲理論を別宮貞雄、音楽学を西原稔の各氏に師事。音楽評論や論説の執筆、音楽家についての著作の翻訳など幅広く活躍している。
指揮は上杉隆治氏(桐朋学園大講師)の元で研鑽を積む。これまで母校の他、各地の多くのオーケストラを指揮・指導にあたる。現在は当団と東京フルトヴェングラー研究会管弦楽団の常任指揮者を務めている。
指揮をするときの口癖は「ワクワク、ゾクゾク、(ムラムラ?)」。本日も、団員をワクワクさせ、聴衆をヒヤヒヤ(?)させる演奏が期待される。
プ ロ グ ラ ム |
(Grave-Allegro-Grave Allegretto Loure
Allegro)
ゲオルク・フィリップ・テレマン Georg Philipp TELEMANN [1681〜1767]ドイツ
1723年ハンブルク海軍鎮守府の創設百周年を祝う朝まで続いた大宴会で演奏されました。本日は全10曲中の4曲をクラリネットとトランペットを加えた野口剛夫(指揮者)編曲でお送りします。
テレマンはドイツ・バロックの代表的な作曲家の一人で、バッハやヘンデルとほぼ同時代にドイツで活躍しました。当時の人気はバッハやヘンデルを軽くしのぎ、音楽事典の「テレマン」の項は数ページにわたり、バッハがほんの数行だったという事からもテレマンの名声が偲ばれます。テレマン、バッハ、ヘンデルの3名は直接の交友関係を結んでいました。バッハはテレマンを尊敬しており、次男の名前にフィリップと名付けたほどです。
テレマンが他のふたりから際立っているのは、市民音楽家的特質です。活動の場は、市の公式の催し、公開演奏会、オぺラ、そして教会で、聴衆は市民でした。その音楽はというと、プロ・アマを問わず演奏しても聴いても楽しめる事があげられます。破格の長寿に恵まれたこともあり、テレマンの作品量は膨大で、音楽史上最も多作な作曲家ですが、19世紀にテレマン・バッシングがあり多くの作品が現存していません。もっとも、ごく一部の曲を除いてバロック音楽が一般の音楽ファンに聴かれるようになったのは第2次大戦後のことです。(Vc
T. N.)
この作品は1880年初演のご存知ワルツ王ヨハン2世の8作目のオペレッタ「女王のレースのハンカチーフ」から美しい旋律を集めて作られたものです。そのオペレッタを好んだイタリア王ウンベルト1世に献呈されました。
晩年の円熟した作曲技法により生み出された、彼の代表作のひとつといえる作品です。
今回このワルツを”ぼんおどり風”ではなくウインナワルツ風に仕上げたいとは2ndVnA氏の弁です。(Fl M.
T.)
「ロザムンデ」というのは、シューベルトと同時代に生きた女流作家が書いた劇の中に出てくる、キプロスの王女の名である。芝居のほうは今では失われてしまったらしいが、これのために書かれたシューベルトの付随音楽は非常に愛好されている。
付随音楽は全部で10曲あり、ほとんどは数日のうちに作曲されたというが、やっつけ仕事(?)とはとても思えない内容と美しさを持っている。この間奏曲第2番は、中でも最も名高いものであろう。序奏の、魂にしみ入るような弦合奏の美しさ、中間部の舞曲の、淡い憂いを帯びた木管楽器のため息のようなメロディーなど、「これぞシューベルトだ」と叫びたくなるような素晴しさである。序奏と舞曲は交互に立ち現われる。その安らぎと切なさの対照が、この小品に高貴さと奥行きを与えているのではないか。(野口剛夫)
(Allegro molto Andante Menuetto Allegro assai)
交響曲第40番ト短調は、第39番、第41番とともに、モーツァルトが最後に作曲した3つの交響曲の1つである。
この曲が作られたのは、亡くなる3年前、モーツァルト32才の頃で、そのころの彼は、人気も衰退し、自らと妻コンスタンチェの過剰な浪費癖により経済的に困窮し、実に悲惨な生活を送っていたと言われている。
「白鳥の歌」と呼ばれる第39番は明るく天国的、「ジュピター」と呼ばれる第41番は壮大かつダイナミックであるのに対し、この第40番は、暗く悲劇的で、かつ独特の緊張感を持っている。調性も、第2楽章を除く全楽章がト短調(ト短調はモーツァルトにとって「宿命のト短調」と言われるほど特別なものである)で書かれており、晩年時代の衰退していく人気、逃れられない生活の苦しみなど、何か宿命的ですらある悲劇を感じさせる。
寂寥感あふれる、実に印象的な主題を持つ第1楽章、神秘的かつ透明感あふれる第2楽章。軽快な中にも哀愁を感じさせる第3楽章、そして暗く激しく絶望に向かって燃えあがる第4楽章。軽薄と言われるほど陽気な人柄とはうらはらに、実に悲劇的な晩年を過ごしたモーツァルトが、何を考え、何を感じ、何を信じてこの曲を作ったのか想像しながら聴いてみるのも面白いだろう。(Cl Y.T.)
清瀬管弦楽団 団長 西村忠朗
オーケストラ40年の歩みなどと書くと大変固苦しい感じになってしまいます。音楽は字の通り、楽しくなくてはと言う訳で、わがオーケストラ誕生のいきさつのさわりのところだけ少々。
トランペットを吹く青年が居りました。コーラスのメンバーだった彼は、それだけでは満足できなくて、楽器の合奏をしてみたかったのです。コーラスの指揮者に話を持ち掛けた訳です。「何が吹けるの?」、「荒城の月!」。ピアノを弾く人とバイオリンを引く人がいたので、これで「オーケストラの素」の出来上がり。ピアノと言うのは便利な楽器ですネ。メロディーを弾く事も出来るし、リズムに廻ることも出来るし、始めの頃のわがオーケストラのレパートリーには、ピアノがよく使われておりました。或る時、マンドリンを弾くチャーミングな女性が入団して来ました。時の指揮者は張り切って彼女の為に、マンドリン協奏曲を作曲しました。人間には張り合いというものが必要ですネ。夜のシジマの中で彼女の顔を思い浮かべながら作曲に励んだもんだよ、とはご本人の談です。
よく町内(其の頃は村から町になったばかり)の病院や療養所などの慰問に行きました。(慰問になったかどうかは、神様だけがご存知です)で、第1回の演奏会が昭和37年に催されました。今日のプログラムに載っているモーツアルトの交響曲がこのときのプログラムに載っているのです。これは全くの偶然でした。この演奏会が又大変なものでした。オーケストラあり、歌あり、踊りあり、えらいサービスぶりです。この位やらないと、折角来てくれたお客さんに申し訳ないと、皆考えたようです。12月の寒い公民館に団員が持ち込んだストーブを囲んだお客さんたちは、4時間にも及ぶプログラムの最後迄つき合ってくれました。団員にも、この演奏会の純益を社会福祉協議会へ寄付出来たと言う、ささやかな満足感もあった訳です。以来数年のあいだ、この歳末助け合い演奏会は続けられました。
自分たちだけの楽しみではない、街の人たちにも楽しんでもらえる、僅かながらも社会に貢献できるという悦びは、40年経った今でも変わらず受け継がれています。
そこで最後に、市会議員になっている嘗ての団員松本強さんの励ましの言葉をひとつ。
「・・・そうですか、もう40年も経つの。清瀬の皆さんがオーケストラにホレて、団員になったり、どんどん演奏会を聴きに来てくれるように、50年でも60年でもガンバッテ
ください」。
1998年6月20日の合奏練習(竹丘地域センター)
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オーケストラで音楽を楽しみたい方、音と音が組み合わさって、その響きが感情や意志を持つようになる不思議な「合奏」を体験したい方。どうぞ私たち清瀬管弦楽団にお越しください。(連絡先рO424−91−1749 西村) |
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